山崎泰広(やまざきやすひろ)さん
(株)アクセスインターナショナル代表取締役
佐賀ユニバーサルデザイン推進会議アドバイザー
佐賀県パーキングパーミット制度提唱者
1960年東京生まれ。79年、留学中の米国で転落事故により脊髄損傷、下半身麻痺となる。85年、ボストン・カレッジ経営学部卒業。食品会社を経て90年に独立、身障者関連機器の輸入販売とコンピューターコンサルティングを2本の柱として(株)アクセスインターナショナルを設立。94年、障害者向けの低価格販売と重度障害者用の入力支援装置、意思伝達装置の販売を核にアップル・ディスアビリティ・センターを設立。92年バルセロナパラリンピック100m平泳ぎ6位入賞。95年から97年まで日本初の身障者のためのスポーツ情報雑誌「アクティブジャパン」の初代編集長を務める。
99年日本身体障害者社会人協会/日本障害者シンクタンク設立。東京都スポーツ振興審議会委員、静岡県都市公園懇話会委員、東京地方労働審議会委員など様々な委員を歴任。2007年ユニバーサル技能五輪国際大会のユニバーサルデザイン監修プロデューサーを務める。
障害者と高齢者の自立支援を目指して、車椅子をはじめとする自立支援機器に関するコンサルティングとセミナーを全国で展開すると共に、ユニバーサルデザインの考えの基に、リフォームから街づくりまで様々なコンサルティングを行っている。
山崎泰広氏オフィシャルサイト http://www.markyamazaki.com/index.html
わたしは米国で事故に遭って車いす使用者になりましたが、リハビリ後の6年半は米国でひとり暮らしをして大学を卒業しました。
アメリカでは優れた福祉機器とバリアフリーな環境があったため、困ることはありませんでした。
日本に帰ってきて、はじめて「自分は障害者なんだ」ということを実感しました。
先ほどの挨拶にあった「パーキングパーミット(身体障害者用駐車場を利用できる人に利用証を発行する制度)も当時から(30年前から)アメリカにはあり、車いす利用者でも移動に困らないわけです。
加えて、周囲の人々の障害をもった人に対する正しい考え方、理解がある。
私は、優れた道具と完全なバリアフリーの環境と人々の理解があれば、障害や色々な問題を感じずに暮らしていけると思っています。
今日は、ちょっと切り口を変えて、本当に使える、必要なUDとはなにかということについてお話します。
もともとUDとは「改造あるいは特殊化された設計なしで、能力あるいは障害のレベルに関わらず、最大限可能な限りすべての人々が利用できる環境と製品のデザイン」という考え方です。
障害者に役立ちながら、健常者をはじめとするその他の人々にも使いやすいものですね。
障害者専用だと、すごくお金がかかるし使う人も少ない。だったら皆に使えるものを作ったらいいじゃないか、という考え方。
容器にギザギザをつけたシャンプーとリンスの区別のつけ方、テレフォンカード等の凹みとか、ウォシュレットも共用品のひとつです。
バリアフリーは、例えば階段があったところに後からスロープを付けるというように、もともとあったバリア(障壁)を取り除くという意味です。
これに対してUDは、最初からバリアのない状態で、皆が使えるように作ったものです。
佐賀県のホームページにも書いてありますが、「UDの7原則」というものがあります。「公平な使用」「使用における柔軟性」「少ない身体的労力で使えること」等色々ありますけれども、これはUDの参考書やテキストのどれにも書いてあることなので、今日は省略します。
逆にUDの問題点を提起したいと思います。
UDの考え方はすばらしいものですが、最近では障害者の方から「UDにしないで、専用品やバリアフリーに戻してくれ」という声がずいぶんあがっています。
UDと呼ばれる製品でも、多くの人には使えても、車いす使用者の人達が対象になっていないものがたくさんあるのです。
例えば乗用車や冷蔵庫などで、UDと言われていても、車いすでどうやって使うのかを考慮されていない製品は、車いす以外の人のためのUDであり、本当のUDではないんですね。
それから、ホテルでバリアフリーと提示されている客室でも、お風呂やトイレに手すりは付いているけれど、ドアの幅が狭くて車いすで浴室の中に入れないことがよくあります。これはバリアフリーでもUDでもないですよね。
特にまちづくりに関しては、いい加減なバリアフリーがUDと呼ばれていることがよくあるのです。
今日はこのようなことについてお話して、失敗のないように、UDの一つの見方にしていきたいと思います。
去年、静岡県でユニバーサル技能五輪という世界大会があって、その中で障害者の人達が職業技能を競う国際アビリンピックという大会がありました。
私がユニバーサル技能五輪のUDプロデューサーに就任してまず考えたのが、選手団がホテルに泊まれるのかということです。
調べると、車いすで泊まれる部屋が、静岡市で3部屋しかない。
今まで長年、どこの県もこういう状況で、車いすの人が何十人から何百人も来る大会をやっていたんですね。
どうしていたかというとボランティアの人を集めて、お風呂やトイレに入れないところを担いで入れてあげる、これはもちろんバリアフリーでもないですよね。
アメリカや他の国だと、そういう大会を機に、例えば車いすの人が泊まれる部屋をたくさん作るわけですが、日本では後に何も残らない。
静岡では2年間かけて色々な活動をして、車いすで利用できる部屋を最終的には200部屋以上に増やしました。
その時、ある大型ホテルが大規模改修をするというので、散々交渉して、段差を6センチ以下、ドアの幅も66センチということを約束してもらいました。
245部屋全部がそうなるということで、日本一の素晴らしいUDのホテルになると思っていたのに、完成してみたら施行間違いで、間口が50センチしかないんです。たぶんコンクリートを開くところを66センチにして、その中に枠とドアを入れたので、この幅になったのでしょう。
ホテルの社長に設計変更を依頼しましたが、なぜか社長は変更しないことに固執して、すべての部屋を同様の中途半端な仕様にしてしまいました。
本当だったら「日本一UDのホテル」になるところが、「日本一のUDの失敗例」になってしまったのです。
こういった失敗をしないためにも、本当に使えるUDについて理解する必要があります。
「だれでもトイレ」という多目的トイレが色々なところにできるようになりました。
車いす・ベビーシート・おむつ台・授乳・オストメイト・杖をついた人などのマークがついています。
しかしこれは、本当に「だれでも」使っていいトイレなのでしょうか。
UDのまちづくりは、もちろん全ての人のためのものです。
ただ、特別な設備が無くても使用できる人もいるわけです。では全ての人が使えるようにするためには、普通の設備では使用が難しい人に対応しなければなりません。
ですから「だれでもトイレ」の対象は、「普通のトイレの使用が難しい人ならだれでも」、なんです。
それが、車いす利用者、妊婦さん、子ども連れで授乳やオムツ替えをする方、歩行困難者、ケガをしている方、高齢者、内部障害者の方で、一般のトイレを使えない方ですね。
このトイレしか使えない人がたくさんいることを理解していただき、「だれでもトイレ」は誰でも使っていいだろうというのは間違いだと知っていただきたいです。
バリアフリーというのは、「障壁を除去する」という意味です。
下肢障害者、歩くことに問題のある人達は、狭い場所・段差・階段などの障壁があると行けない場所があるから障害者であるという考え方から、移動障害者と呼ばれています。
言い換えると、バリアフリー化すれば障害を除去するのと同じだという考え方でもある。
そのためには本当に使えるバリアフリーが必要なんですね。
日本のバリアフリーの問題は、人が手伝えば使えるものをバリアフリーだと考えていることです。私はこれを条件付バリアフリーと呼んでいます。
欧米では、手を貸さないでできるのがバリアフリー、人の手を煩わせたら、もうバリアフリーとは呼べないという考え方です。
ボランティアをする時も同じ考え方で、例えば重度の障害の方をその日だけ外に連れていってあげても、次の日ボランティアの人がいなくなったら、外には出られない。
同じ時間を使って、例えばスロープを作ってあげるとか、自分で外に出られるような設備を作ってあげれば、その人はボランティアの人がいなくなっても外に出られますよね。
日本では、建物や新幹線では、車いすでは利用できない階段や段差を、人が手伝うことで使えるようにしています。
せっかくのUDのエレベーターも駅員さんが鍵を開けないと使えないところもあります。
私が乗ったアメリカの地下鉄には段差がありません。本当はこういうことができるはずなんです。
実用的に考えているかどうかという問題もあります。
例えば車いすを乗せられるバリアフリーエスカレーターは、乗っている人を一度全員下ろす必要があり、ラッシュ時などにはとても使用できません。
今、東京などの人の多い駅では、車いす担当者の方がふたりで後ろから支えながら、普通のエスカレーターで上まで連れて行くというサービスをしています。
上記のようなエレベーターでは対応できないということですよね。
最近は、キャスター付のキャリーバッグを持った人達が増えて、彼らも階段ではなく狭いスロープを通っていて、よく車いすとバッティング(競合)して、ぶつかります。
これからは、スロープを一部分にだけ作るというのは、もう間違いだと考えます。全体をスロープ化することで、車いすだけでなくベビーカーの人にも、キャリーバッグの人にも、本当に全ての人達に便利になるのです。
UDのまちづくりで、私がいつも考えるようにしているのは、どれだけ多くの人が恩恵を受けることができるかということです。
スペインのバルセロナは、1992年のパラリンピックを機会にバスを全部ノンステップにしました。
すばらしいと思ったのは、バス停に着くと車いすの人がいようがいまいが、スロープが出てくるので、ベビーカーの人や、ちょっと足が悪い人も、そのスロープを使うことができることです。
その後、東京にもノンステップバスが導入されましたが、スロープは自動ではなく、バス停に車いすの人がいると、運転手が下りてきて設置し、傾斜が急なので車いすを押して乗せます。
これはUDでもバリアフリーでもありません。
私はこれは「ワンステップバス」と呼んでいます。
車いすでなくても、乗るのが大変な方はたくさんいらっしゃいます。スロープがいつでもすっと出てきたら、みなさん恩恵を感じると思うんです。
でもスロープを使うのは、車椅子の乗客だけ。足の悪い障害者、高齢者、妊婦やけが人はステップをあがる、ベビーカーはたたんで、子どもは抱えてあがります。
これはUDとは言えないです。もちろん昔のバスと比べたら良くなりましたが、ノンステップバス・イコールUDかというとそうでもない。
ですからこれから佐賀県でこういったバスを取り入れる時は、ぜひこの点について考えていただきたい。もし、バルセロナのような形でノンステップバスが導入できたら本当にすばらしいと思いますし、すべての県民の方に本当に喜んでいただけると思いますね。
「コスト(費用)÷ユーザー数」、これも私がよく使う考え方です。
エレベーターを作るのに一千万円かかって、車いす専用に一日2人しか使わなかったら、一人あたり500万円ですよね。
ベビーカーの人も、妊婦さんも、足の悪い人もと、同じニーズのある色々な人を加えていくと、一人あたりのコストが安くなり、また恩恵を受ける人達が増えるということになります。
私が「UDの落とし穴」と呼んでいるものがあります。
一つはモラルです。共用なので、全ての人が使おうと思えば使えるものですから、人々にモラルが存在しないと障害のある方はうまく使えない。
もう一つは数です。アメリカでは、すべての男性用・女性用トイレの中に一つだけ大きいトイレ(便房)があります。
だから、車いすの人や障害者以外でも、例えば大きい荷物を持っている等、色々なニーズの人が誰でも使っていいことになっています。
数が多いので、本当に全ての人が使っても問題にならないんです。
でも日本のように、多目的トイレをいくつか作って、そこに誰でも使っていいと集めてしまうと、使えない人が出るという問題が生じるということです。
対応策としては、教育と、ニーズの分散、それから高齢者と障害者について考えるということです。
なぜ身体に障害のある人達に、特別なスペースが必要なのかということが分かってない人も、まだたくさんいます。
店に近ければいいのかと言われることもあるんですが、実は車いすのドライバーの最大の問題は、隣に車を停められるとドアが充分開けず、車いすに乗り降りできないことなんですね。
だから少し横に余分なスペースが必要です。
入り口から一番遠くても、駐車場の端をわざわざ使わざるをえないこともあります。
身障者用駐車場でも降りるスペースがない場合もあるし、身障者用駐車場に柵がしてあると、1人で移動している車いす利用者は、柵がどけられずに使えないということです。
日本の身障者用駐車場の問題点は、誰が駐車していいのかの基準が曖昧、だからモラルに頼らざるをえない。駐車に関する規制や条例がないということでした。
アメリカや欧米のほとんどの国ではパーキングパーミット制度というのがあって、これは義務と権利をはっきり定めた法律なんですが、簡単にいうと「掲示をする」という義務を遂行することで、「身障者用駐車場を使用する」という権利が得られるというものです。
そこで私が提案したのは、佐賀県でパーキングパーミット制度をスタートしようということで、まずは身障者用駐車スペースに駐車してよい人の判断基準を明確にすること。違法駐車をなくすということですね。
更に、アメリカの制度を手本にして身体障害者だけではなくて、けが人や高齢者や妊産婦にも対象を広げたということです。
今、色々な自治体に広がりつつあります。
当事者の意見を取り入れるのは大切なことですね。
当事者の意見を取り入れる側としては、高齢者や障害者のことをよく知って、それぞれのニーズを理解して回答を導くことが不可欠です。
落とし穴としては、意見を聞く相手は障害者や高齢者なら誰でもいいというわけではない。
自分の障害から感じた意見だけを言う人もいるので、その意見だけを取り入れると偏った意見が反映されてしまいます。
そうならないようには、色々なことをコンサルできる人を使うか、多くの人の色んな意見・情報を収集して完璧なものにして、可能であれば複数の当事者と実証いることです。
当事者側としては、「文句」ではなくて「提案」をするということが大事です。
具体的な提案をすれば企業や自治体の側も喜んで取り入れる時代になっています。
色んな障害やニーズの人が集まる懇話会でも、意見の戦いではなく、皆の和解案・妥協点を見つけて結論を出しましょう。
また、自分の障害や経験による意見を言うだけでなく、コンサルティングできるように情報を集めて経験を積みましょう。
多くのホテルでは、車いすの人がたくさん泊まっているといっても、車いすでトイレに入れずに床に降りて、そこから這ってトイレにのぼったりお風呂にのぼったりして使っています。
昔は障害を負ってもリハビリを頑張って体力をつけて、無理な環境でもできる人が偉かったんですね。
そんな考えがまだ残っていることで、すごく無理をしている人達がいる。
でも年齢を重ねるにつれ、そんな無理はできなくなります。
静岡で去年僕がお手伝いしたホテルのひとつは、「ゆったりめのビジネスホテル」をテーマに作っています。
車いすだと少し狭いところもあるので、どういうふうにすれば車いすのお客さんが来たときに部屋を使えるか、使いやすいかということや、部屋によっていくつか違うタイプの手すりをつけて、障害によって選んで泊まることができれば一番いい、といったことをアドバイスしました。
その結果、すべての部屋に車いすで宿泊することができるようになりました。
現在、このホテルを中心に車いすのテニス大会や、他のスポーツ大会を開催するという話がでています。
バリアフリーの建物がひとつあることによって色んなことに拡がるんですね。
今、日本では多くの障害者が泊まれるホテルが無いので、障害者の人達の世界大会ができません。
僕は静岡県で頼まれて車いすで泊まれるホテルを増やしていますけども、佐賀県でも、そのようなホテルができれば、障害者の世界大会をやるときは佐賀県ですることになるし、人も集まることになります。
UDの部屋は大きくないといけないから作るのにお金がかかる、と思われていますが、最近ではビジネスホテルが小さなUDの部屋を作り始めています。
身障者用の部屋、UDの部屋をいくら作っても、高い部屋だったら泊まりません。
狭くても、ちゃんとトイレもシャワーも使えて一泊7千円だったらいいと思いましたね。
ニーズを理解することが大切です。
せっかく車いすの人対応のシャワーチェアが置いてあっても、シャワーの位置が高すぎて使えない。
素晴らしいUDの部屋でも、洗面台だけが膝が当たって顔が洗えなかったことがありました。
ここは3年くらいで車いすで使えるタイプに変わりましたが、間違ったことをやったことでコストが更にかかってしまったんですね。
ある公園の身障者用トイレは、使用時間が朝9時から夜5時になっていました。
でもここは、横浜にあるすごく夜景がきれいな公園なんですね。
僕も夜御飯を食べてから行ったんですが、もちろんこのトイレは使えませんでした。
他にも利用時間の制限された多目的トイレを知っています。
あんなに大きな「だれでもトイレ」を作っても、悪用されると心配して使わせないのであれば、アメリカのように男女各便房のひとつをUDにしたほうがよっぽどいいと思いますね。
点字ブロックについても間違っている例がたくさんあります。点字ブロックを歩いていくと、看板や柱にぶつかったり、ベンチに座ってバスを待っている人達の足を踏みかねない例や、電車がきた時しか開かないフェンスの線路側に敷設された例。
どう考えても当事者とは検証してないですね。
点字ブロックはUDでしょうか。
点字ブロックは視覚障害者が進む方向や危険を伝えることができるすばらしいものですが、逆に車いす利用者、高齢者、脳卒中等の歩行に障害のある方、歩行器を使っている人、ベビーカーなどにはバリアになっています。
UD施設としての適合判定を得るのに、点字ブロックが条件となっていることがよくありますが、場所によっては人間が案内するなどソフト面で対応した方が、視覚障害者にとって使いやすいこともあるので、この条件が絶対に必要とは言えないのではないのでしょうか。
点字ブロックを敷きさえすれば視覚障害者対策ができたかのように考えがちですが、視覚障害者が本当に使えるように、また、点字ブロックがバリアになる人々のことも考えて、本当に必要な部分に設置されているかどうかが重要です。
さらなる問題点として、条例で定められた「民地側(道路と逆の側)から60センチ」という点字ブロックの位置は、例えばバス停などの車道方向に枝分かれした点字ブロックが歩道全体を横切ることになるので、車いす使用者や歩行困難者にとって大きなバリアになっています。
またこの位置だと、店舗の看板や自転車が置いてあり、視覚障害者自身にとっても危険です。
私は両者の解決策として、位置を歩道の中央にする案を地元に提出しています。
視覚障害者の友人達からも点字ブロックについて意見を聞きました。
その結果、民地側の点字ブロックは危なくて使用できない、道路とのコントラストがはっきりしていないと判別できない、自転車の違法中輪がとても危険。どこに向って敷かれているのか分からない、間違って敷かれている点字ブロックは危険、横断歩道の端で敷かれていないところがある、など既存の点字ブロックは視覚障害者にとっても様々な問題があることが分かりました。
横断歩道には、ほとんどの県で歩道と2センチの段差があり、点字ブロックが敷いてあります。
これは両方とも視覚障害者にとってはサインとなるんですが、車いす使用者や高齢者、足の悪い人たち、ベビーカーや歩行器などにとってはバリアになって困ります。
それで私は、歩道の段差をなくしてフラットにすること、その代わり中途半端に敷かれていた点字ブロックを、完全に横断歩道の開いているところの端から端までカバーすることで、視覚障害者が間違って出ないようにすることを提言しました。
視覚障害者と点字ブロックに困っている人達の両方のメリットを考えた提案で、いま多くの街で、こういう形の歩道の施策が始まっています。
いずれにせよ、既存の点字ブロックが完璧だとは思えません。
UDだといっても、やみくもに点字ブロックを敷くのではなく、適切な点字ブロックを適切に敷設する、視覚障害者に役立ちほかの人達のバリアにならないものを開発する。盲導犬やガイドヘルパーの増加も必要です。
何度も工事をしているので、でこぼこだったり一部が壊れていたりする歩道をよく目にします。
私自身車いすでつんのめって転倒転落したし、友人の視覚障害者も転んでケガしたと言っていました。
いつかUD化するから、それまでの間はボロボロでいいという考えではなくて、せめて平らで安全な道にしてほしい。
だれもが安心して歩ける道、それこそがUD化の第一歩でないでしょうか。
UDのまちづくりに本当に成功しているところというのはとても少ないのが現実です。
今日ご紹介した色々な間違い・失敗から学んでいって、佐賀県のUDのまちづくりをぜひ成功させてほしいと願っています。
僕はもう十数年間、バリアフリー・UDに関わってきていて、市民も行政も理解してくれてずいぶん変わってきました。
最後の歯車である企業を動かすためにはどうすればいいのか。
アメリカでは「一番企業の考え方が変わったのは、障害者が消費者であることを理解したときだ」と言われました。
チャリティーでは予算がつきませんが、お客様だから、という形になれば予算もつくし対応もできた。
UD化とともに、働く障害者も随分増えてきます。また、働いていた方が中高年になってから障害を受けるケースも増えている。
なので、障害がある、イコールお金が無い、イコール客にならないという図式は過去のものになっています。
企業が障害者への対応は社会貢献と考える時代ではなく、お客様だと考える時代になっている。
障害者のニーズは高齢者のニーズとオーバーラップするものがたくさんあるので、少子高齢化社会のビジネスチャンスになります。
例えば、社員旅行でひとりでも障害のある人がいればユニバーサルルームのあるホテルを選びます。1台でもリフトバスのある会社に全ての観光バスを依頼することもある。
障害者の対策が、高齢者、子供連れ、赤ちゃん連れにもやさしいことにつながり、そのことによってビジネスを得られることが、これからはたくさん出てくるということですね。
高齢者や障害者に対する考えは、自立支援であるべきだというのが私の考えです。
「自立」というと厳しいイメージがあって、高齢者を自立させると言うと、かわいそうだ、といわれることもよくあります。
しかし自立は無理して物事を行うことではなく、自分の好きなことが好きなときにできるような環境にしてあげる、ということなんです。
介護では好きなことが好きなときにできない。
UDは自立支援に不可欠な考え方なんですね。
最初に、私がアメリカにいた時に、障害を感じなかったと申し上げました。
自由な活動を可能にしてくれる優れた道具、自由に活動させてくれるバリアフリーな環境、建物と設備、それから人々の障害者に対する考え方・見方、これらがあれば高齢者でも重度障害者でも自立は可能です。
介護をする人の数も限られる中、実際には介護が必要じゃなかった人達を自立させてあげることで、もっと介護が必要な人に介護を集中して提供することができます。
私は本業でシーティングという、車いすで姿勢を直す技術と製品を提供しています。
以前は体が痛くて車いすに数十分しか乗っていられなかった高齢者が、床ずれ防止クッションや曲がった背中を優しく受ける背中のサポートを使って姿勢を直してあげることで、一日中座っていられるようになり、自分で食べたり、ものをつくったりと、できることが増えました。
このように、諦めているのは本人ではなく、周りが勝手に彼らをできない状態にして、限界を決めてしまっていることが多々あります。
ちょっと前にお手伝いした板前さんがいます。頚髄を損傷して車いすを使用するようになりました。するとカウンターが高すぎで首のあたりにきてしまう。
お店を立て直すわけにもいかないし、とすごく悩んでいらした時に、立つことのできる車いすをご紹介したところ、料理もできるし、カウンターも使える。今はすごく元気にお店をされています。
もしこういった道具と環境がなかったら、この方はリハビリをして職業訓練を受けて、他のことをしないといけなかった。
そうすれば国や自治体は彼が仕事に就くまで年金を支給することになるし、色々な費用もかかったと思います。
でもこの車いすの活用によって、この人は退院翌日から納税者として働けるわけです。
本当に使えるUDを進めることで、自立した生活が可能になります。結果として、UDに予算をかけることで、介護や介助にかかる予算を削減可能だとさえ考えられます。
店舗とかトイレとか、色々なバリアフリーが言われていますが、歩道を忘れないでほしい。
歩道は雨水を流すために傾斜をつけてありますが、今は様々な技術があるので、ひどく斜めにする必要はもうないと思います。
傾斜が大きいと、高齢等の車いす使用者やベビーカーが低いほうに落ちて行ってしまうので危険で自分ひとりでは外出できない。
平らな道路を作ることが、自立した障害者と高齢者を増やすことになっていきます。
最後に、せっかくUD化をしたり費用をかけるなら、「適切に」「詰めをしっかりしてほしい」と申し上げます。
私がお手伝いしたホテルのように、最後に設計の部分を詰めなかったことで、50センチのドア幅になってしまって車いすで使えなくなったり、フラットにするはずがコンクリートを敷いた人が段を作ってしまったり、2センチになるはずの段差が4センチになってしまったり、作業段階で台無しになることがよくあったので、最近では実際に作業する人たちにも、何が必要かということをお話ししています。
何が本当に必要とされているかを理解してもらい、詰めをしっかり行えば、本当に必要とされるUDの提供は可能です。
このようなことにも考慮して、佐賀県が日本で一番のUDの街になれば嬉しいかぎりです。
ラスベガスの空港には真ん中に階段、両側にエスカレーター、その両脇にエレベーターがあります。
同じ動線で来て、自分に合った選択肢によって行動できる、すばらしいUDですね。
まずは障害者や高齢者が自立できる道具と環境とを提供し、そのうえでニーズや要望に答えることが、これからの障害者や高齢者のための政策だと考えます。
そうしてできた本当に使えるUDなら、すべての人にも喜ばれるはずです。
高齢者対策しかしていないと、障害を持った方達には対応できないことが多々あります。
高齢者対策は簡単で障害者対策は難しいと思わないで、障害者対策を適切にすることで、高齢者対策にもなり、すべての人が使えるようなまちづくりをしていただきたいと思います。
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