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潮谷義子(しおたに よしこ)さん 佐賀県出身。1962年 日本社会事業大学卒業後、佐賀県・大分県で社会福祉主事として勤務。72年 社会福祉法人慈愛園(熊本市)乳児ホーム勤務。99年
熊本県副知事に就任。2000年 熊本県知事(全国2人目の女性知事)に就任し2期8年務め、ユニバーサルデザインとパートナーシップを基本理念においた県政を推進。平成20年4月退任。 |
みなさまこんにちは。先ほど表彰を受けられた皆さま方、本当におめでとうございます。皆様たちが宣伝をつけて「ユニバーサルデザインとはこんな考え方なんだよ」ということをお示しくださったようで、とても力強く思います。
ところで、パンフレットに今日お話しする中身を箇条書き程度に書いております。一番最初のところに「ユニバーサルデザインって何」と書いています。会場においでの皆様には、ユニバーサルデザインってお分かりの方も、何だろうとお思いの方もおいでだろうと思います。私が2000年に「ユニバーサルデザイン」と言いました時に、沢山の混乱がありました。県議会では、横文字を使うな、日本語で表せ、中身が分からないと手厳しいお叱りを受けました。
昔、ボランティアという言葉が日本に入ってきたときにも混乱がありました。
私もボランティア活動を続けていたし、色々な方々に「ボランティア活動、大事だからやりましょう」と実践の呼びかけもしていました。
とても面白いエピソードがあります。「ボランティアって新しいぶどう酒ができたってね。どんな種類?」と聞かれて、本当にびっくりしました。
でも、ボランティアとはどういうことかというのは、皆様ご理解のとおりです。
以前から日本にもボランティア活動があったとおっしゃる方もいます。私も否定はしません。
たしかに、かつて私たちは垣根越しのお付き合い、お口汚しのお付き合いという形で、隣近所の皆さんたちがお互いに支えあう生活をした時期があります。
そのときは、「あの家にはいつも良くしてもらっているから」とか「あそこにはそんなにお付き合いがあるわけではないから」というように、お付き合いに軽さ重さがありました。
でもボランティアは、そのような軽さ重さでするのではなく、相手の求めに応じて、どんな風に今、私は隣人のために働いたらいいのかという形で展開されています。
同じように、「ユニバーサルデザイン」という言葉も、日本語で表現するのは難しいです。
「ユニバーサルデザイン」という表現がそのまま落ち着いていくのか、とても適切な表現が(日本語で)見つかるのかは図り知れません。
会場にお越しの皆様には会場の中を見ていただきたいと思います。
机と椅子には、机が付いていますね。前を見ると椅子の背にハンドバックが掛けられるようになっている。ここは評価が分かれるところですが、椅子の背ではなく、椅子の前に掛けられる方が安心と考える方もいるかもしれません。
椅子の前にあると、他の方が前を横切って行く人の邪魔になるから、これでいいと考える方もいるかもしれません。
椅子に座ると、前の人と頭が重ならないようになっています。
お手洗いをお使いの方がおられると思います。トイレットペーパーが左と右に置いてありました。何でだろう?と思われた方もおられるかもしれません。右手が不自由な方は左手でどうぞ、左手が不自由な方は右手でどうぞ、というさりげない心遣いがされています。
そして、子どものおむつ交換の台がありました。この台は緩やかにU字に区切ってあります。体が入ることで、おむつ交換がしやすくなります。これが一直線だと子どもとの距離が遠くなります。Uで区切ってあることで、子どもへの密着や所作動作がしやすくなるようにという配慮がされています。
つまり、さりげなくユニバーサルデザインが息づく会場づくりになっています。
またホール内の段差は等間隔です。デザイン(見た目)を優先すると段差を狭めたり広げたりすることがあります。これを等間隔にすることで(会場が)暗くなったときにも足の感覚で危険を除去できます。
デザイン(見た目)的な工夫よりも実質的な工夫がされていること。これがユニバーサルデザインということです。
ユニバーサルデザインとバリアフリーは、どう違うのかという論議が盛んにあります。
バリアフリーは、バリアを取り除く。バリアは障壁、障害。こころの中にもあります。さらに、建物の中にもあります。法律の中にもあります。これを後から取り除いていく。
ユニバーサルデザインは最初から、人々が暮らしていくときに、どんな配慮が暮らしやすさにつながっていくのかを考えて作る。このような違いがあるということです。
ユニバーサルデザインはアメリカで始まりました。(提唱された)ご自身も、日本で言えば1級、重度の障害をお持ちの方です。建築・設計の専門家、ロン・メイスという方で、大学の先生をしていました。
障害者が社会に参画していくために、様々な条件を整えていくべきだ。健康な人だけが参画するのではなく、障害があっても社会の構成員の一人として参加をし、地域社会に責任を持ち、義務を持つことが非常に大事である。そして行政はその準備を整えなければならない。
アメリカでは、このような法律ができました。ADA法と言っています。
この法律の後に、バリアフリーの概念が一気に広がっていきます。
そのような中で、ロン・メイスは、「確かに、障害をもっている人たちにとって、社会が暮らしやすくなり、障壁がなくなるのはありがたい。しかしながら、例えば、まちなかにある車いす用のトイレは、障害をもっている人だけが使うものだと位置づけられていないか。誰もが使えて、障害者はもちろん、誰にとっても使いやすいということが大切なのではないか。」そのようにして、ユニバーサルデザインという概念を唱えたわけです。
ユニバーサルデザインという考え方は、ハード的なところから始まりました。このような歴史的背景があります。
ところで、障害のことを重点的に話しましたので、ユニバーサルデザインは障害者が対象になっているのかとお考えの方もおありかもしれません。
今日、冒頭の御挨拶で、県から説明がありました。ユニバーサルデザインを考えていかなければならない背景の中に、少子高齢社会があるとおっしゃいました。
私たちは少子高齢社会を高齢者の人数が増えてきただけと考えてはいけません。
私たちの社会はどのように変わってきたのか。
20世紀を振り返ると、産業が大きく進展した時代です。これまで手作業だったのが機械で作り出していく。しかも多様化していく。そういう時代を経験しました。
端的に言えば、ものづくりが人間の手から離れたと申し上げてよろしいかと思います。
熊本県の場合は、第一次産業、農業や林業や水産業、そして中小企業の方がとても多い県です。佐賀県も同じような産業構成にあると思っています。
機械化すると、機械のスピードが収益につながる。スピードについていけない中で、中小企業は細々と仕事を営まなければならない。
こういうことが20世紀の歴史的進展の中で、貨幣的な価値とつながりながら進んできたといえると思います。
機械がものを作り出していく中で、人々が追求したのは効率性です。早く、正確に、パターン化、平均化して、そういうことが広がりました。
誰が使うのかという点では標準型が出てきました。若くて健康な男性が中心という形で(標準化が)非常に進んできたわけです。
ものづくり以外でも、日本の社会保障制度も男性が中心になってきたことを忘れてはいけないと思います。
その歪みが今色々なところに出てきています。
一つの事例ですが、今日は女性の方もおいでです。高齢社会は女性が長生きする姿を示しています。
この会場に自分の夫に先立たれた方もいるかもしれない。ご自身はずっと働いていて、社会保険の掛け金を掛けてきた。夫が亡くなると、女性は、夫が掛けてきた年金を選ぶか、自分が掛けてきた年金を選ぶかという節目を経験します。
そして人々は、自分が掛けてきた年金の掛け金より、夫が掛けてきた年金の掛け金が高いという現実の中で、自分が掛けてきたものを掛け捨てにして、夫が残した遺族年金を受給する。
これらは男性中心の社会保障制度の設計なので、標準形の中で生きていこうとすると、様々な矛盾がある。
男性、女性、年を取っている、子ども、障害のあるなし、そのようなことに関わりなく、一人の人間として社会に参画していくときに、「どうなのかな」といった視点で社会を見ていくことが大事です。
少子高齢社会というのは、標準形では使いづらいということが非常に見える、あるいは経験する社会です。高齢の方や障害の方が排除されていると実感することがとても大事だと思います。
つまり、20世紀というのは、どちらかと言うと使い手中心ではなくて、作り手中心に物事を発想してきたと申し上げていいと思います。使い手中心で考えていくことが大切です。
ユニバーサルデザインというのは障害者だけのためではない。高齢者だけのためではない。ユニバーサルデザインは福祉という概念で一括りにしてはならないということです。
私たちの周辺を見てみますと、この会場にも若い人もいらっしゃいます。お年を取られた方もいらっしゃいます。目に見えない障害をお持ちの方もいらっしゃると思います。
こんな様々な人たちがいる。あるいは宗教も違うと思います。この会場には外国の方は見当たらないようですが、一歩街へ繰り出すと、国籍が違うだろうなと思われる外国の方々もいらっしゃいます。
(長崎国際)大学の学長の宿舎だけでなく、職員の宿舎がハウステンボスの中にあります。そのハウステンボスの中から人々を見ますと、沢山の言語が飛び交っています。韓国語、中国語、英語、私が知らないような国の言語。
つまり私たちの社会は多様性の中にあるということです。ダイバーシティ(diversity)という呼び方をしていますけど、これまでの社会の仕組みと違って、今の社会は多様化してきている。 多様化した命の群れ群れを包み込んでいく社会を創っていかなければならない。
私たちはよく「国際化」と言います。私たち自身が目指さなければならないのは、多様な人たちが社会の中に構成員として存在する、その一人ひとりを社会に切り結んでいくときに排除されたり、あるいは参画できなかったりということであってはならないということです。
つまり、私たちはこれまで「男のくせに」とか、「女でしょ?」とか、「年寄りは出番が終わった」とか、「年寄りの冷や水」とか、こういうことを言っていました。
そうではなくて、ひとりの人間として社会を構成しているということの中から見ていかなければならない。こういうことをしっかり考えていくことを忘れてはならない。
これがユニバーサルデザインという視点の大事な広がりです。
ユニバーサルデザインは、建築、交通、福祉、社会の仕組み、広報、マスコミを含めて、非常に広がりのある領域の中で考えなければならないということです。
なぜ熊本県でユニバーサルデザインに取り組んだか。
ユニバーサルデザインの視点を考えたときに、広がりをもって、一人ひとりを念頭に置いて、そして追求していくという課題があるからです。
高齢を例に考えるといかがでしょうか。
視力。かつてのように良く見えますか?
聴力。私の母は93歳ですが、おならをばんばんするんですよね。「おならばっかりして、親子だからいいけど、人様の前でそんなにしたら駄目よ。」と言ったら「あら、聞こえたね?」と言うんです。自分が聞こえてないものだから。人にも聞こえてないと思っているんですね。93歳でなくても、特定の音が落ちてしまったりすることがあります。
それから、私の夫。料理のときには「その料理は旨い?旨くない?」と聞いていたんです。最近は「堅い?堅くない?」と聞くんです。歯の力も落ちました。
視力、聴力。そして、ビンが何気なく開いていたのに(上手く開かない)、手先の巧緻性も落ちていきます。
そういう生活(をしている方)が社会の中に沢山いらっしゃる。21世紀の歩みを変えていくのが重要ということです。
オバマ大統領は「チェンジ」と言われました。オバマ大統領の言葉を待つまでもなく、私たちは今を省みていくときに、人々が、一人ひとりにとって、この社会が暮らしやすいのか、暮らしやすくないのか。暮らしやすくないならば、「チェンジ」が必要だ。行政はイニシアチブをとって、しっかりやっていかなければならない時を迎えているということです。
行政はとても優秀な人が集まっています。私は本当に実感させられました。
その一方でとても前例踏襲主義。なかなか前はこうだったということで変わらないんです。
でも、行政が変わらないと佐賀県が変わっていくことは難しい。
ですから、佐賀県の行政の皆さんがユニバーサルデザインの取り組みを一生懸命にやっていただいていることを本当に嬉しいと考えています。益々大きく発展していってほしいと願います。
例えば、私は、行政の皆さんが変わらないので、予算を査定する。ユニバーサルデザインの感覚がない予算は査定する。そういったことをやりました。そうすると、本当に一生懸命にやられました。
でも、一生懸命にやる方法が自分勝手だったら困る。ということで指針を作りました。
その指針を作るときに、建築、銀行、商工会、あらゆる各界の人々を集めて勉強会をしました。
そして、県庁内部局の部長を集めて、さらに県庁内の連携と調整をとる。
こういった形をとって、県が変わっていくことがとても重要であるということをアピールしたわけです。
事例を挙げると、県庁から広報が届いているわけです。この広報は分かりやすいですか?見やすいですか?
私のところに決裁を取りにおいでになった職員がいます。その人に「お家におじいちゃんか、おばあちゃんかいる?」と聞いたら、「おりま~す」と言われるから、「じゃあ、私のところに持ってきた広報誌を、おじいちゃんかおばあちゃんに見せて?」と言いました。
翌日、「おじいちゃんかおばあちゃん、何ておっしゃった?」って聞いたら、「何を言っているか分からんし、字は細かいし、色はボーって見えているし。もう見たくないって言われました。」って来るんですね。「字が細かいともう見たくない。」それは皆さんたちも経験されていることですね。
そして、もう一つ。色彩というのがどんな風に人々の目に映っているのか。日本人の場合、男性の20人に1人、女性の50人に1人、色覚障害があります。ひどい障害でないにしても、その中で、赤が赤に見えない人たちが25%、緑が見えづらい方が75%、青が0.02%。
全体の中から言うと、20人に1人の中で、さらに赤・緑・青で反応が乏しいのだから、そんなに気にしないでもいいじゃないの?と思われるかも知れません。
老人の方々の場合、先天性でなくても、目の黄変、目の状況の違いの中で、色彩がなかなか捉えづらい方が増えてきています。
県や市町村などでは、事故、大水害、土砂崩れなどのハザードマップ(災害予測図)、を各戸に届けています。(災害の種類は)色彩で区分されているというのが一般的です。私たちは自分が見えているからと、自分の感覚だけに頼って、色彩を捉えていると、命に関わる大きな問題をはらむことになります。
熊本県の場合は、色覚シミュレーション、色の変換ができる器具を置いて、これを通して広報を行っていくということを行いました。字の大きさや空間も、きっちり認識してやってきたわけです。
佐賀県にも古い公営住宅があると思います。建て替えをするときに、色々なバリアフリー、あるいはユニバーサルデザインという感覚で行うところは沢山あると思います。
しかし、そのときに当事者を参画させるということを忘れてはならない。私の言葉では、県民が中心になければならない。行政や作り手が中心ではなくて、利用する側が中心。これがユニバーサルデザインの大変大事なところです。
その中心である人たち、障害のある方やお年寄りや子どもを参画させて、創り上げていく。
今は健康、健常そんな方たちが公営住宅に入っているかもしれません。
しかし、いつ車いすになるのか、松葉杖になるのか、障害をもつのか、それは予測できません。その時、公営住宅でずっと住み続けなければ(他に)住宅がないという方々もいらっしゃいます。
歳をとっていく中で、あるいは事故にあってどんな変化が出てきても、その住宅が対応できる。この観点がとても大事です。
建築、特に行政の建築・土木では、東京の多摩ニュータウンができた当初は、素晴らしい住宅ができたと言われました。今や、段差が多くて、部屋の入口が狭くて、あの住宅は今後改築を進めていくのかという大きな課題を抱えています。
さらに高齢者が増えてきているのは、かつては田舎、地方だったのですが、都市の方がどんどんと伸びてきています。
そんな中にあって、公営住宅の作り変えのとき、廊下の幅は車いすがターンできるのか、あるいはエレベーターは上下に自由に移動できるのか、エレベーターのスイッチの高さはどうなのか。スイッチの高さは悩ましい問題があります。子どもはエレベーターが大好きです。低いと子どもたちが遊び場にしてしまうのではないか。高い所だと、障害をもつ方々は届かない、そういう問題があります。ですからエレベーターのスイッチひとつでも、どんな高さに配置していくのかという課題があります。
さらに車いすでも電動を使う方々がいらっしゃいます。そうすると、その一つの階に、充電する場所が最初から作られていることが不可欠です。
これがユニバーサルデザイン。人間が将来にわたって、一人ひとりが社会とともに共存しながら、自己実現を図っていく。私の言葉で言いますと、その人が願う生き方、一人ひとりが輝いて生きていく、その準備を私たちは行政の役割の中でしっかりと持っていく。そう考えたときに、今だけに立たなくて将来に渡って自分たちの英知をもっていくということが大事です。
それから、それにはさりげなさが必要です。障害者や高齢者のためにやっているよ、ということではなくて、さりげなく。
警察の免許センターを建て替えました。ユニバーサルデザインでどのような改修を行うか考えたとき、入口のところでエレベーター、エスカレーター、階段を準備しました。どうぞ、あなたの体調に合わせてお使いください。選択はあなたに委ねられています、ということです。
子育て中の方も免許更新しなければなりません。多くの人に迷惑がかけられないと更新を躊躇されると大変なことになります。
そこで、子どもと遊ばせながら、プレイルームで過ごしながら免許更新できるように、部屋の中の声は漏れないけど、講習の声は届く、そんなものを創り上げていきました。
子ども総合療育センター。知的障害者の通所、身体障害者の手術・リハビリを担う、県が作らなければならない施設です。この施設を作り変えたとき、当事者の子ども、ドクター、ナース、栄養士、保育士、その設計の段階から参画させました。
そこに通ってくるボランティア、地域の人たち、建築・工事に携わる人も参画させました。50回に及ぶ討議を重ねていく中で、建て替えを行いました。
つまり、私たちは当事者を中心とする。そこに関わりを持つ人が障害の実態、高齢の実態、人々の暮らしを知っていく、そのチャンスをさりげなく広げていく。そのようなことで、心の思いやりを届けていくことができる。触れ合わなければ、経験しなければ見えてこないものです。頭の中だけで考えても分かりません。
私は気になっている領域があります。子どもたちが少なくなりました。この子どもたちが、もの凄いスピードで進展する高齢社会を看て行ってくれなければなりません。子どもたちは本当に老いや障害を分かっているでしょうか。
一つの事例ですけど、東京の山手線の出来事です。若者が座っていました。だいたい公共の乗り物に乗られると、みんな目をつぶっている。目を開けると、席を譲らないと良心が痛む、そういう人たちが目の前に沢山いるから。できれば目をつぶって見ない方がいいんですね。
若者が座っていて、目をつぶっていた。そこにお年寄りがお越しになった。電車が動いたときに、お年寄りがよろめかれたんです。その若者に手を突かれました。
若者は弾かれたように押して、「年寄りのくせに、電車の混んでいるところに出てくるな」と、捨て台詞を残して、次の駅を降りていきました。
佐賀の友人の一人が話してくれました。
「そろそろ、お袋と親父、歳をとってきたので、同居の潮時かなと思って同居を始めた。そしたら息子たちが夜、お風呂を掃除して入っている。何でそんなことするだろうと。ところが来る日も来る日もそのことが続く。自分の子どもに『もったいないじゃないか。たった二人しか入っていないから水を落とさなくていいじゃないか。』と言うと、子どもは『年寄りの入ったお湯、汚くて入れるか。』と。それで掃除をしていたと。そんな現実の中で悲しい思いをした」と。
触れ合う、経験する、その中では老いが当たり前として見えます。でも、体験や経験がない。そんな中では老いを理解することの難しさがあります。
私たちは今、子どもとお年寄りが交流する。先ほど内閣府の表彰を受けられた方のお話がありました。子育て支援をNPO法人で一生懸命やっているという、江口さんの志の高いお話がありました。
でも果たして、子どもたちが成長していく中で、将来、お年寄り達のありのままの姿をどれくらい受け止めていくことができるのか。
私は、佐賀県が子どもたちの表彰をなさったことは大事なことだと思います。
地域社会で増えていくお年寄りを自分たちの中に捕らえて、ユニバーサルデザインを発想したり、老いた人と世代間の交流をしたり。そういうことをなくして、設計や建築、広報に携わる人たちが、将来を見通して何をすべきかということが見えるのか。そういったことがとても気になるところであります。
ユニバーサルデザインという精神性の中には、やはり多様な人々の存在を捉えることができる、その人たちを包み込むことができる、そういった社会づくりが当たり前になっていないといけない。それなのに、今はそこが非常に遠くなってきている。
本日お集まりの皆様は、多様な人々の存在(を捉えること)、多様な人々を地域社会に包み込むことがどれだけ大きな課題であるかを認識いただければと思います。
行政の方がおいでなら、県民は行政に何を望んでいるのか。健康であり、命の尊厳であり、暮らしが安心で安全であることを行政に求めているわけです。
私達は、全体で分野連携を図っていく。あるいは庁内でもお互い横串を刺して、県民サービスを行っていくことが重要です。縦割り行政の中では、漏れていくことが沢山あります。
どのように横串を通していくか。サービスのメニューから漏れている人に対して痛みを覚え、補っていくことが大事です。
分かりやすく言うならば、県行政は県民に等しくサービスが届いているだろうか。
私たちが提供する医療は、配慮と技術、自分自身の生業をもって、多様な人々を幸せにしているだろうか。
建築の領域では、車いす、年寄り、小さな子ども、そういった人に本当に使いやすくなっているだろうか。
今日、扉をご覧いただくと、握り手が縦についています。最近は空間が大きくなって、低いところからついています。子どもでも引っ張ることができる。こういう素材が数多く流通しています。
建築の領域では、ユニバーサルデザインを認識すれば、数多く流通している規格品を使って、安く、誰にでも利用できる建築ができる。
私達は、土木、建築、医療、保健、福祉、環境、人間工学、造園、観光、こういった領域の中に、いつも多様な人の姿を思い描いていくことが大事です。
観光を考えたとき、これから誰が一番利用する人が立つでしょうか。お年を取られた方々が旅行しなければ地域は活力を失います。熊本は、鹿児島から始まった新幹線が平成23年に博多まで開通します。新八代駅から鹿児島まで新幹線ができるときに、私は知事に就任しましたが、すでに設計図ができていました。
設計図を見たとき、新幹線に乗り換えるために、在来線から新幹線まで登って行かなければならない。ですから、対面乗り換えが必要であると、国土交通省と鉄道運輸機構に申しました。鉄道運輸機構が工事を担うわけですが、「そんなことまでできない、ここまで来ているのに。」とおっしゃいました。
そのとき、「誰が利用しますか?鉄道は利用する方々がなければ、とんでもないことになります。新幹線は「時が縮まる」ことだけでなくて、利便性を何に置いていらっしゃいますか」と。最終的には鉄道運輸機構が折れまして、対面での乗り換えを決行しました。先ほどの江口さんの表彰と同じように、内閣府からユニバーサルデザインに配慮した鉄道であると表彰を受けました。
八代の新幹線のトイレ。ここでも、いろいろな方々にモックアップ(実物大の模型)で経験いただくことをしました。障害と一言で言いますが、介助が必要な方がいらっしゃいます。介助できるスペースが配慮されていなければ利用できません。ユニバーサルデザインは点ではなく(面的に)繋がっていなくてはなりません。
バリアフリーでは洋式の便所があって使うことでバリアフリーといわれます。でも、その中で、介助者がゆったりと介助できるかどうか。或いは車いすから便器に移るとき、手すりはどの長さにあるのか。こういうことを実際に経験してもらって、車いすの方々が安全に移動できる。こういうことがとても大事です。
そして、会場のトイレのように、右手左手でトイレットペーパーが使うことができる。こういった配慮がものすごく大事です。
私が関わる(長崎国際)大学は、長崎の佐世保のハウステンボス町にあります。宿舎はハウステンボスの中にあるわけです。大学には社会福祉、観光、薬学、栄養の学科があります。
観光科の方には言っています。ハウステンボスの駅ですが、JRの方がいらしたら是非考えていただきたい。階段がものすごく急です。お年寄りの姿を見ますと、手すりにすがる様な姿です。時としては、階段のそばにある荷物運搬のエレベーターが動く形になっていますが、でも車掌や駅員さんが気づかなければ動かしてはもらえないわけです。多くの方たちが辛い階段を昇っていらっしゃる訳。
これは入口で、障害を持っている方やお年寄りたちを排除していると言わざるを得ないと思います。観光科の先生たちに、JRにはやっぱりやらないと駄目ですよと話しているわけです。
観光はこれからの産業です。観光には、その地域ならではの美味しい食べ物が沢山あります。冒頭でお話したように、噛めなければ「美味しい」ことには繋がりません。
熊本県で清和文楽という文楽の里があります。市場には出せない曲がったきゅうりや大根、そういった農産物を加工して、お膳でもてなすということをやっています。そこでは、食のUDということで、ご自身たちがどのように包丁を使えば、高齢者に美味しく頂いてもらえるかといった研修を受けてもらいました。
今や多くの人たちが研修に訪れます。
この地域を統括するのは上益城地域振興局という県の現地機関ですが、この地域にある8つのレストランと協力しています。食べやすい大きさはどのくらいか。お弁当の蓋を開けたときに跳ね返らないかといった研究を行いました。弁当の底に指かかりをつけて落としにくくする工夫は、大学のデザイン科にお願いして研究しました。
このようにして、UD弁当を作り出しました。
ここのUD弁当は、オムレツは時間がたっても温かいように配慮しています。瞬間的に暖めるのではなくて、器そのものの熱伝導を考え、放射しない工夫をしているわけです。
熊本の地元のデパート、鶴屋というところでも、年1回UD弁当を出します。瞬く間にすぐ売れる。
地場企業と産業技術センターが協働して、段差解消のための伸縮自由のスロープ。大学と連携して、電動で移動する書棚。大量生産になっていますが、そういうことを作り出しました。
本日はUD陶器の表彰があって、香蘭社はショールームの表彰を受けられました。
熊本でも、UD陶器ということで、陶工の皆様が勉強会を始められました。
リウマチの方々は手がかからないと握りづらい。だからといって口触りに厚さを感じると、お茶が美味しくない。自分達を意識してということではなくて、さりげなくUDが配慮されているものが欲しいと。
あるいは、お箸も特殊な形ではなくて、さりげなく普通と同じように見えるけど、手先の巧緻性が悪い人にも使い易いように。
こういうワークショップをして、UD陶器を創り上げたグループは、デパートの鶴屋に常設で置かれています。
納豆、納豆の蓋は開け方によって中身が出てきます。からしが洋服にかかったりすることがあります。熊本の丸味屋の納豆は、大きめのつまみをつけて蓋があけやすい。販売戦略でUDに取り組むことが産業の活性化につながっていくという戦略を取っています。
さらに、健軍という商店街があります。ここでは、お年寄りの方々の買い物をサポートするという学生のボランティアがあります。ニートや不登校の皆さん達を支える拠点があります。彼らがボランティアに参加しています。荷物はUDタクシーで、200円で自宅まで届けられる。そういう活動が商店街で始まっています。
それからサントリーがあります。熊本県のUDに非常に共感してくれました。職員の皆さんたちが緊急の時の手話ができること、あるいは手話で案内できる、というようなUD配慮の工場見学コースを立ち上げて、売りにしています。
それから観光に関わる「旅のよろこび」という会社があります。ホームヘルパーの資格をとって、障害者のサポートをしている。様々な工夫をしながら、医療、福祉、教育関係の方々を運営のアドバイザーに置く。観光業者が旅のよろこび社をやっているということです。
コンビニエンスストアで「エブリワン」というのがあります。障害者の方たちの作品を売るだけでなくて、通路の幅を含めて、買いやすい売場の工夫をしています。
つまり、ユニバーサルデザインというのは、社会の隅々にまで広がっていかなければならないということです。ユニバーサルデザインという言葉は知っているけど中身は分からないという方々が多い中で、行政が宣伝して、見せていくことは欠いてはならない。非常に大事なことではないか。その中には、相手を思いやるという優しい心、温かい心がなければ広がっていきません。
私達のハート、それとハードが響きあっていかなければならないということです。一過性ではなく、いつの間にか社会に定着することが、ユニバーサルデザインの精神性でなければならない。精神文化でなければならないと思っています。
プロセスを重視しなければならないです。「これでいいのかな?」と。
会場にあるドアのノブも色々な方が開けやすいようにということで始まったと思います。さらに進化していく中で、人と状況に柔軟に対応できるものが非常に出てきていることに目を向けなければならないと思います。
ものの生産から流通、普及、情報伝達、サービス、就労環境に至るまで、目配りをしなければならないと思います。
佐賀県の古川知事はセンスがよくて、「熊本県を追い越せ」と、熊本県をモデルにしてもらっていますが、熊本県は追い越されるのではないかと心配しています。
それから、九州では、東国原知事がいらっしゃる宮崎県も頑張っています。
行政の中で、こういったUDを考えて、今まで変えられなかったところを、お金をかけなくても変えられます。使い手中心、いわば県民中心の社会に佐賀県が変わっていくことを心から願っています。
皆様もUDの探検隊の一員になってください。「これはUDかな。本当に我々に使いやすいかな?我々にとって暮らしやすいかな?簡単なのかな?」といった中で広がっていけばいいと思います。
私が2000年にユニバーサルデザインと言ったときには本当に理解いただくのが困難でしたが、今や国の大きな施策の柱になりました。
平成17年には国土交通省がユニバーサルデザインを位置づけていくと言いましたし、厚生労働省はこれからの社会はユニバーサルデザインを考えなければならないと言いました。参議院議員では、ユニバーサル社会を形成するということを可決しました。
もう時効になりましたのでいいかと思いますが、天皇陛下に進行するように言われたのがユニバーサルデザインでした。そういった意味では色々な領域で追い風になっていますので、ユニバーサルデザインが大きな風になっていくことを願っています。
佐賀県は今23.6%の高齢化率です。この中では、加齢に伴う色々な弊害が出てきています。ユニバーサルデザインで社会の仕組みをきちっと整えていくことを今やらなければ間に合わなくなると思います。
そのためには、県民の皆様の御理解と御協力、バックアップが大切です。日本は国や行政がしてくれるという歴史が長かった訳ですが、今や財源的に厳しい状況です。まずは自分が自分の周辺のために何ができるか、地域としてともに支えあっていくためにどのような役割を果たすか。これがとても問われている時です。人のために、人とともに。それは自分の存在感を感じるものです。自分が輝くことにもつながります。
佐賀県が心豊かな精神文化の中にユニバーサルデザインを位置づけていただくことを心から願って、私のお話を終わりたいと思います。今日はありがとうございました。
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